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「迷うのは心だろうか?」 あるいはさきいかの記憶 2006/2/8
函館の「めがねのおばちゃん」は、訪ねていくといつも私の好きなガラナシャンパンを出してくれた。さきいかを好きなのもよく知っていて、時々港町ならではの大袋入りのをくれた。車に弱かった私は、さきいかを食べると酔いが軽減されるので(今考えると不思議)、車に乗るときにはしこたま食べた。

私は「めがねのおばちゃん」の人生を、全くといっていいほど知らない。

おばちゃんは一人暮らしで、繁華街の裏手でとても小さな呑み屋をやっていた。客は漁師や港で働く人がほとんどだったと思う。酔ってから、遅く寄る人が多かった。

何度かおばちゃんの家に泊まった。
といっても、呑み屋の2階の一間、6畳かそこらの簡素な部屋に布団を並べて寝た。

そんな時もおばちゃん自身の人生話は全くなくて、若かった私がああだこうだというのを、ただ聞く耳もって一緒にいてくれた。

心は迷わないのではないか。
その人の命に添うて、それは行くばかりなのだ。
心はぐちぐち言い訳も言わず、命が苦しそうな時も寄り添って、いいも悪いも言わず生きていようとするのだ。

めがねのおばちゃんについて、いい話も悪い話もきいたことのない私は、それでも彼女は心と命を添わせて生きたのだと思う。
たくさんの不本意な、あるいは自分で運んでしまった辛い体験もしたに違いないけれど、それについて不幸とも幸福とも決めつけず、流れ、暮らし、黙って死んだ。

彼女の人生について、もっと知ろうとすれば追究はできるのかもしれない。
でも、私のなかの記憶の場所はそれを欲さない。

子も物も、とりわけ残さずにこの世から消えたひとりの人。誰が彼女を思い起こすだろう。

私は思い起こした。
詳しいことなぞ知らないなりに、生きたその人を実在として覚えている。

で。突然であたりまえなのかもしれないけれど。
迷うのは心じゃないんじゃないか、と思う。
このことはもっと考えなきゃいけないのかもしれない。
でもともかく、あなたを思い出すよと、今日は言っときたいのだ。
by nonband | 2010-02-03 06:24 | OTHERS :Essay etc. | Comments(0)
ニック・ドレイク 2006/3/5

カナダから来てしばらく弘前に滞在していたカナダ人ジェイソン・フリッチは、相撲の木版画などめっぽううまいアーティストなのだが、彼の置き土産の話です。

トム・ウェイツとニック・ドレイク。

ニック・ドレイクは私の知らなかったカナダ人のシンガー・ソングライターで、私がジェイソンからもらったのは、彼のベスト版のCDだった。

歌詞などの日本語訳がついていないので、何度もめくったライナーノーツや歌詞も、どれだけ理解できているかわからないけど。

声とギターが風のように私に入った。

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ニック・ドレイク。
この名前がなかなか覚えられなくて(今は覚えた!)、人にも知らせることはなかったし、いいよと言っても人がどう感じるか、見当つかなかった。でも私は大好き。心の深くですごく好き。

彼の人生は1948年6月19日~1974年11月25日。
26才で死んでしまった。
神経をすりきらせて、自らの命を絶ってしまった。
もったいない、とすごく思う。でもしかたがない。
美しい曲を何曲も残してくれたことに感謝するしかない。

カナダは、ロックに限らず優れたミュージシャンをたくさん出している国だ。そのわりにカナダという国自体はいがいに知られていないように思う。もちろん私も行ったことはないし、森や川が豊かなこと、アメリカとつきあいながらもとるべき態度はとっていること、玄関に鍵をかける人は大都会以外では少なく、銃を狩猟以外もつことは殆どないこと、などを聞き知っているだけだ。「文明国」のなかで比較的自然の豊かな国、だとは思う。

ニック・ドレイクの声は、そしてギターはとても洗練されているが、自然のなかの生きもののリズムや波動をもっている。と、私は感じる。
シャウトひとつもせず、つつましやかに発声・発音するのみで、彼の表現は、森の小リスの営みが私たちに気づかれることなく豊かになされるごとく、その命も木々に見守られて静かに終えるごとく、深く慎重に、私の心に入ってくる。しんしんと浸みとおる。

こういうミュージシャン、そんなに多くない。

今も生きていたら、新しい曲も作ってくれていたら、それなりに励みになったなあとは思うけれど、残されて人に届くものの貴重をだいじにしよう。

ニック・ドレイク。
私の、小さなきれいなダイアモンド。
こどものような年で死んだけれど、まるで千年も生きたような、誰にも似てない人。
by nonband | 2010-02-03 06:19 | OTHERS :Essay etc. | Comments(1)
ビマラ 2006/4/23
実家からジョムソンの裕福な家に洗濯女として出されたビマラは、あまり仕事が過酷なので逃げてきたのだという。
家にも帰りたくない、帰ってもいやな顔をされるという。口減らしであったのだろう。

ポーター兼ガイドの心やさしい青年インドラとジョムソンを出発してまもなくから、少し離れてずっとついてきた少女がビマラで、やがてインドラが地元の言葉で話しかけた。彼もほんの片言の英語しか話せないので私にはまったく事情がつかめなかったが、ともかくそれから一緒に歩くことになった。
乾季のカリ・ガンダギの流れに沿って、私の背中の小さな娘と合わせて4人、トゥクチェまでがその日の歩行予定。ネパール人2人の足の軽さたくましさは真似ようもなく、私はたびたび彼らを待たせた。私の歩調を考えてゆっくり歩いてくれていたのだけれど。

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その日その辺りを歩く観光客はほとんどおらず、静かな時間に水の流れと、ときおり私たちの話し声が響くばかりだった。
目を合わせると、ビマラは恥ずかしそうに微笑んだ。

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やがて着いたトゥクチェの宿で、英語を話せるそこの娘さんから、ビマラの事情を聞くことができた。
それが先に書いたようなことだ。
ビマラはしばらくその宿で働くことになった。彼女は13歳ということだった。

このようなことは、当時のネパールではさほどめずらしい話ではなかったのだろう。
おそらくインドラが宿の女性たちにビマラの状況を説明し、女性たちも彼女と話して、雇うことはすばやく決定された。
「奉公先の人が私をこき使うの。あんまりひどいので私は逃げてきた」
「じゃあトゥクチェまで行って、仕事をさがしてみるか」
----
「この子を働かせてやってくれないか」
「ちゃんとできるようなら雇ってもいいよ」
といったふうに。
ビマラはほんの小さな包みくらい持っていたか、記憶が定かではないが、ほとんど荷物らしい荷物はもっていなかった。
数日を共にしたインドラにしても、すべてはせいぜいポケットに入っているだけだった。

今もネパールに限らず、女性は酷使されるばかりの人生を送る国や地域は多いようで、自立を支援するプロジェクトもさまざまな地道な活動をしている。
そんな状況でも、多くの女たちはたくましく、少しの喜びを大きく笑って生きているようにも思える。

今頃ビマラは27歳くらいだろうか。
何人もの子持ちのおっかさんになって、つつましくても幸せに暮らしているだろうか。
ダンナと一攫千金をねらい、都会に出てぐわんばったりしている可能性もあるかな。
by nonband | 2010-02-03 06:14 | OTHERS :Essay etc. | Comments(0)
PACIFIC OCEAN FACTORY 2005/11/25
父は絵を描きたい人だった。
妻と4人の子がいて、生活もしていかねばならなかった。
看板屋を始めて、「○○○○○○○○」はその看板屋の名前だ。

今はもうあとかたもないが、画材屋の店鋪兼自宅の奥に、看板を作る工場(こうば)があった。
景気のいい頃には数人の工員が働いていた。
ほとんどの人は中卒で、住み込みの青年もいた。

私は上と年の離れた末っ子なので、工場が賑やかだった頃の記憶はおぼろで夢のようだが、しょっちゅう工場に出入りして、彼らにかまってもらった。
プラスチック看板が普及し始めた頃には、余りのプラスチックで分厚い下敷きを機械でカットして作ってもらい、友だちも欲しがったので何枚もせがんだりした。
2階の作業台が空いていると、そこで時々ピンポンもした。

さくらまつりが近づくと、ぼんぼり作りの仕事もよく入った。
工場中が制作途中のぼんぼりでいっぱいになった。ピンクと赤の、ぼんぼりの山。
そんな時は皆てんてこまいで、うろちょろはしゃいでると邪魔になるので怒られた。

ぼんぼりの取りつけが終わり、まつりが始まると、工場で働いている人たちも彼らの家族も私たちもいっしょに花見に行った。その頃は誰もさくらまつりとはいわず、「観桜会」(口でいうと「かんごうかい」)と呼んでいた。大きく場所を陣取って、ご婦人方は晴れの着物姿、飲めや食えや歌えやの、数少ない華やかな娯楽だった。
青年たちは皆よく飲んで、まっかな顔をしていたなあ。
まつりが終わるとずらり飾られたぼんぼり取り外し、紙を剥いで骨だけにして、また次回まで、その骨は重ねて片づけられる。

看板は看板なりに、字一つ書くにも技がいる。
文字の配置や色合いも、父は自宅でしょっちゅう図面を書いていた。
人に任せるとなかなか思い通りにはいかないので、肝心な部分はほとんど自分で手がけていたと思う。
「ーーはまだまだ字まいね」とか、
「**は色なんも作られね」とか渋い顔をして母にこぼしていることがよくあった。

大きな仕事は入札や人間関係で決まる。
そこにはいろんなしがらみや裏技やらがあったに違いなく、夜遅く酔って帰り、ずいぶん不機嫌なときもあった。母にする話は私にはよくわからなかったが、「あのつんぼらけ!」と晴らせぬうっぷんをぶちまけていた夜も何度かあったのを覚えている。
スムーズに仕事が入ったり、ぶじに大仕事が終わると嬉しそうだった。当たり前だ。

真冬に、津軽半島まで何ケ所もプラスチックの看板を取りつける仕事があった。
トラックを運転できるのは、父ともうひとり中年の工員だけだった。(彼は優しくもの静かな小柄な人だった。仕事は不器用だった。)
何度も朝早くから取りつけに出かけ、寒そうな疲れた顔をして遅く帰って来た。

事故も何度かあったようだ。
怪我をした工員もいたし、よその人にさせてしまったこともあったのか。
その当時は暗い顔が続いた。
危険の伴う仕事であった。

父と工場の人たちのいろんな表情を思い出す。

幼い私が親しんだ工員さんたちは、やがて転職する人、独立する人、流れていく人など、いつの間にか徐々に工場を離れていった。
運転免許をもっていたいちばん古株の工員さんだけが最後に父と残った。
どちらも年をとっていた。きつい仕事はもう無理だった。
時代は進み、看板じたいも、昔ながらの形態の商売はもうしづらくなっていた。
父は決心をして、工場を閉めた。

それから父には、ようやく時間がたっぷりできた。
しかし精力的に絵を描くにはもうくたびれすぎていた。
熱意こそあっても、からだも心も、制作に真に集中する力は残されていなかったんだと思う。
そのことは本人がいちばんわかっていたはずだ。
私の手元にある晩年の写真の父は、寂しげに微笑している。
なにかがちょっと足りなかったが、いっしょうけんめいやった、という風に。

父が死んでからも、しばらく工場はそのまま残されていた。
だんだんあちこちが傷み、再び使われるあてもなく、取り壊されたのは1998年のことだ。

----- 「お父さんが土手町で看板を描いているところを、子どもの私はよく後ろからずっと見ていたもんですよ」と私に言ってくださった絵描きさん、お年を召してこのところ耳が遠くなり、心臓に持病あり、冬場の野外スケッチも今年は取りやめ。そうそう、どうか無理せず、小品一枚でも描き重ねられますよう、お祈りしております。

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by nonband | 2010-02-03 05:28 | OTHERS :Essay etc. | Comments(0)



このブログを立ち上げてくれた元祖管理人及び副管理人が多忙のため、最近はNON本人がしこしこ記事をアップしとります。
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