父は絵を描きたい人だった。
妻と4人の子がいて、生活もしていかねばならなかった。 看板屋を始めて、「○○○○○○○○」はその看板屋の名前だ。 今はもうあとかたもないが、画材屋の店鋪兼自宅の奥に、看板を作る工場(こうば)があった。 景気のいい頃には数人の工員が働いていた。 ほとんどの人は中卒で、住み込みの青年もいた。 私は上と年の離れた末っ子なので、工場が賑やかだった頃の記憶はおぼろで夢のようだが、しょっちゅう工場に出入りして、彼らにかまってもらった。 プラスチック看板が普及し始めた頃には、余りのプラスチックで分厚い下敷きを機械でカットして作ってもらい、友だちも欲しがったので何枚もせがんだりした。 2階の作業台が空いていると、そこで時々ピンポンもした。 さくらまつりが近づくと、ぼんぼり作りの仕事もよく入った。 工場中が制作途中のぼんぼりでいっぱいになった。ピンクと赤の、ぼんぼりの山。 そんな時は皆てんてこまいで、うろちょろはしゃいでると邪魔になるので怒られた。 ぼんぼりの取りつけが終わり、まつりが始まると、工場で働いている人たちも彼らの家族も私たちもいっしょに花見に行った。その頃は誰もさくらまつりとはいわず、「観桜会」(口でいうと「かんごうかい」)と呼んでいた。大きく場所を陣取って、ご婦人方は晴れの着物姿、飲めや食えや歌えやの、数少ない華やかな娯楽だった。 青年たちは皆よく飲んで、まっかな顔をしていたなあ。 まつりが終わるとずらり飾られたぼんぼり取り外し、紙を剥いで骨だけにして、また次回まで、その骨は重ねて片づけられる。 看板は看板なりに、字一つ書くにも技がいる。 文字の配置や色合いも、父は自宅でしょっちゅう図面を書いていた。 人に任せるとなかなか思い通りにはいかないので、肝心な部分はほとんど自分で手がけていたと思う。 「ーーはまだまだ字まいね」とか、 「**は色なんも作られね」とか渋い顔をして母にこぼしていることがよくあった。 大きな仕事は入札や人間関係で決まる。 そこにはいろんなしがらみや裏技やらがあったに違いなく、夜遅く酔って帰り、ずいぶん不機嫌なときもあった。母にする話は私にはよくわからなかったが、「あのつんぼらけ!」と晴らせぬうっぷんをぶちまけていた夜も何度かあったのを覚えている。 スムーズに仕事が入ったり、ぶじに大仕事が終わると嬉しそうだった。当たり前だ。 真冬に、津軽半島まで何ケ所もプラスチックの看板を取りつける仕事があった。 トラックを運転できるのは、父ともうひとり中年の工員だけだった。(彼は優しくもの静かな小柄な人だった。仕事は不器用だった。) 何度も朝早くから取りつけに出かけ、寒そうな疲れた顔をして遅く帰って来た。 事故も何度かあったようだ。 怪我をした工員もいたし、よその人にさせてしまったこともあったのか。 その当時は暗い顔が続いた。 危険の伴う仕事であった。 父と工場の人たちのいろんな表情を思い出す。 幼い私が親しんだ工員さんたちは、やがて転職する人、独立する人、流れていく人など、いつの間にか徐々に工場を離れていった。 運転免許をもっていたいちばん古株の工員さんだけが最後に父と残った。 どちらも年をとっていた。きつい仕事はもう無理だった。 時代は進み、看板じたいも、昔ながらの形態の商売はもうしづらくなっていた。 父は決心をして、工場を閉めた。 それから父には、ようやく時間がたっぷりできた。 しかし精力的に絵を描くにはもうくたびれすぎていた。 熱意こそあっても、からだも心も、制作に真に集中する力は残されていなかったんだと思う。 そのことは本人がいちばんわかっていたはずだ。 私の手元にある晩年の写真の父は、寂しげに微笑している。 なにかがちょっと足りなかったが、いっしょうけんめいやった、という風に。 父が死んでからも、しばらく工場はそのまま残されていた。 だんだんあちこちが傷み、再び使われるあてもなく、取り壊されたのは1998年のことだ。 ----- 「お父さんが土手町で看板を描いているところを、子どもの私はよく後ろからずっと見ていたもんですよ」と私に言ってくださった絵描きさん、お年を召してこのところ耳が遠くなり、心臓に持病あり、冬場の野外スケッチも今年は取りやめ。そうそう、どうか無理せず、小品一枚でも描き重ねられますよう、お祈りしております。
by nonband
| 2010-02-03 05:28
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